イスラム教の犠牲祭「イドゥル・アドハ」をご存知ですか。
インドネシア国内で特に重要なイスラム教の祭りの一つとして位置付けられており、多くの人々が集まり、特別なイベントが行われます。
一般的にインドネシアでは、イドゥル・フィトリ(レバラン大祭)がよく知られている祭りですが、犠牲祭はそれに匹敵する重要な祭事です。
犠牲祭の期間中、インドネシア国内では日本のお盆休みのように多くの人がジャカルタから故郷へと帰省します。
このため、国内全体で民族の大移動が起こるのです。
イドゥル・フィトリの約2か月後に行われるため、この数カ月間はインドネシアでイベントが続く時期となります。
屋台のオーナーなどは、レバランの帰省後、そのまま犠牲祭が終わるまでジャカルタに戻らないことも多いです。
今回は、インドネシアのイスラム教の犠牲祭の由来と意味、そして儀式の流れについてお話しします。
犠牲祭の由来と意味
犠牲祭の起源は、イスラム教の預言者イブラヒム(アブラハム)が、神からの命令を受け、自分の息子を生贄として捧げようとしたところ、神の慈悲によってその息子が羊に変わったという旧約聖書の故事に由来します。
この出来事は、イスラム教においても非常に重要であり、毎年行われる犠牲祭の基盤となっています。
多くの人々は、犠牲祭を単に動物を神に捧げる祭りとして認識していますが、実際にはそれ以上の意味が込められています。
犠牲祭の本質的な意味は「富の再分配」にあります。
イスラム教の基本的な教義には、豊かな者が貧しい者に施しを与えるという相互扶助の精神が根付いています。
この考え方は、ラマダンの断食期間中に貧しい人々の気持ちを理解することと、その理解を行動に移す場としての犠牲祭という構図に反映されています。
経済的に余裕のある人々は、犠牲祭において牛やヤギを購入し、それを近隣の貧しい人々に分け与えます。
これは、レバランの際にムスリムが義務として行うザカート(施し)と同じ意味合いを持ちます。
ただし、犠牲祭での動物の捧げ物は推奨される行為ではありますが、義務ではありません。
インドネシアでは、農業を基盤とした相互扶助の社会構造が既に存在しており、そのため宗教的な行事というよりも、社会的なイベントとしての意味合いが強く、文化的に根付いているのです。
犠牲祭の雰囲気と期間
犠牲祭の期間中、街全体が一日中お祭り騒ぎになるようなイメージを持つかもしれませんが、実際にはどちらかというと日本のお盆休みのように静かな雰囲気が漂います。
インドネシアでの犠牲祭は、ヒジュラ暦の第12月の第10日から4日間行われます。
ヒジュラ暦は陰暦であり、閏月も存在しないため、毎年少しずつ日付が前倒しになります。
たとえば2020年のイドゥル・アドハは7月31日に行われ、その後の3日間は普段通りの生活が続きました。
インドネシアでの「イドゥル・アドハ」は、アラブの犠牲祭「イード」やトルコの「クルバンバイラム」とは異なり、街全体が祭りの雰囲気に包まれることはありません。
ただし、祭りの当日に解体されなかった動物は3日目まで屠殺することが許されており、モスクに翌日までヤギが繋がれている光景を見ることができます。
2020年は新型コロナウイルスによる経済的な影響で、多くの場所で祭りの当日の午前中にほぼ処理が終了しました。
犠牲祭の場所と儀式の流れ
犠牲祭の礼拝は、特別な礼拝としてモスクで行われます。
そのため、儀式の中心となる場所はモスクですが、動物の屠殺自体はモスクの駐車場や庭、または学校や一般家庭、企業の敷地で行われることもあります。
2020年は新型コロナウイルス対策のため、開放的な場所や土のある場所での解体が推奨されており、私の田舎でもモスクの裏にある林の中で静かに行われました。
儀式は朝6時半頃から始まり、特別な礼拝がモスクで行われます。
地域の住民は基本的に全員が参加し、スブーの祈りと同様に2ロカート(2セット)の礼拝と簡単な説教、そしてヤギを寄贈した人々の紹介が行われます。
儀式自体は15分程度で終わり、その後は各自が家に戻ります。
屠殺は礼拝とは別に行われ、通常は8時半頃から開始されます。
動物の屠殺は自由参加で、見学するのは主に小さな子どもや私のような興味を持った者だけです。
自治会のおじさんやモスクの関係者、そして解体の専門業者が淡々と作業を進めます。
屠殺の前には関係者でお祈りをし、ナイフを刺す際には「アラー・アクバル」と唱えることが義務付けられています。
このとき、動物の頭はキブラの方向に置かれ、首の下から気管、食道、頸動脈を一気に切断して、動物が苦痛を感じることなく即座に絶命させることが求められます。
動物が完全に絶命する前に首を切り落としたり、皮を剥ぐ行為は禁止されており、血がすべて抜けるまで待ちます。
午前中には初回の解体が終了し、近隣の家庭には小分けにされた肉が配られます。
私の家にも親戚が集まり、まずはサテ・カンビン(ヤギの串焼き)を楽しみ、残った部位はスープなどに使われます。
犠牲祭では、食べられない部分を除いて、動物のすべての部位を無駄にせず食べることが基本です。
剥ぎ取られた皮も、皮製品や絨毯の材料として利用されます。
翌日には、家の軒先に動物の皮が天日干しされている光景をよく目にすることができます。
犠牲祭での動物の価格と購入方法
普段、インドネシアでヤギや牛などの家畜がどの程度の価格で取引されているかはあまり知られていませんが、犠牲祭の市場では一般的に次のような相場です。
- ヤギ:約3万円
- 牛:約20万円
牛は値段が高いため、複数人で分割購入することが一般的で、最大7人までが一緒に購入できます。
一方で、ヤギは分割購入ができないため、ヤギと牛のどちらを選ぶかによって、個々の経済的負担額はあまり変わりません。例外として、企業の社長や政治家などの裕福な人々は、牛を一頭丸ごと購入して地域のモスクに寄進することもあります。
例えば、毎年ジョコ・ウィドド大統領も牛を購入し、選挙対策重点地域や災害地域のモスクに寄進しています。
犠牲祭が近づくと、道路沿いには特設のヤギ・牛の販売所が開設され、何もなかった空き地や空間に突然、市場が現れます。
これらの市場で犠牲祭用の動物を購入し、トラックで指定日に家まで運んでもらいます。
家の庭先に縄で繋いでおくこともあれば、当日の朝に運ばれてくることもあります。
犠牲祭での動物選びの注意点
犠牲祭では、ヤギや牛以外にも羊、水牛、ラクダを寄進することができますが、それぞれに年齢や健康状態に関する基準があります。
- ヤギ・羊:1歳以上
- 牛・水牛:2歳以上
- ラクダ:5歳以上
また、健康状態に問題のある動物や耳やしっぽがちぎれているもの、角や歯が抜けているものは寄進できません。
元気でがっちりとした個体を選ぶことが推奨されています。
まとめ
インドネシアの犠牲祭は、質素で粛々と行われるのが特徴です。
日本のお盆と同じように、田舎に帰省して家族が集まるという意味合いが強く、家族や地域社会とのつながりを再確認する重要な機会となっています。
犠牲祭の時期にインドネシアに立ち寄る機会があれば、地元の人と共に祭りに参加するのもいいかもしれませんね。
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